気づかい。

 気づかい、気配りと言い方はさまざまですが、そもそも気がきくとはどういうことでしょうか?という出だしで始まる本です。そして気づかいとは常に相手ありきなのです。と言っています。

 気づかいは、相手の趣味嗜好と自分のしたことの方向性が一致していないと「気がきく」とは言われないのです。それには相手のことを理解しなければ満足させることはできないと思います。さらに気づかいは相手にきちんと受け取られ、気づかいで返されます。
僕は気づかいを返すにはまず、自分が気づかいをできなければならないと思います。気づかいを意識したり、実際にできるようになって初めて、人の気づかいに気付けると思います。
実は恥ずかしい話ですが、お店などで食事が「タイミング」よくだされるなと思っていたことがあります。今考えると、きちんと僕を見ていて、持ってきてくれていたのだとわかりました。やはり、気づかいというものを知らないと気付けないのだということでした。

 優しさはエゴだという言葉があります。つまり、優しさは自分本位の方向で働いてしまうことが多いからです。たとえば、相手に喜んでもらおうとしていることも、心のどこかで見返りを求めていたり、「与えてあげている」という意識があったり…。何か胸が痛いです。こんな気持ちでいたら、相手も自分も気疲れしますね。まだまだ本当の気づかいには足りないです。大事なのは、その人自身の人となりや、していること、またその人の時間や空間など、あらゆることに対して配慮をすることです。相手が心地よくいられるにはどうすればいいかを何より先に考えることが重要です。

 気づかいは思っていないことは伝わらない、思っているだけでも伝わらないのです。前に「手伝いましょうか?」と尋ねて断られたことがあります。きっと嫌々なのがわかったからでしょう。伝わってしまうんですね。やろうと思っていたり、他の人が先に気づかいに動いていたではダメなんですね。
本当の気づかいができる人は、きっと僕がタイミングがよかったと思っていても、その時に嬉しそうな顔をしていたらそれで十分なのかもしれません。いや、何より心地よいと感じてもらえればそれでよいのかもしれませんね。

 見返りを求めない、押し付けてない、さり気なく、相手の状況と周りの空気、さっと行動できる、それが気づかいの達人なんですね。
あとは実行するだけです。当たり前にできるように。