「今」を大事に

プロポーズ大作戦という前にあったドラマのセリフです。

「今度やろうは馬鹿やろう。明日やろうも馬鹿やろう」
「思い立ったらなんでも、すぐやんなきゃダメだ!」


「大事な事は過去を嘆く“今”ではなく…
“今”を変えようとする未来への意識だ」

 

そしてバーテンダーのマンガから。

人は「変えられない事」=「過去」は何とか変えようとするくせに
「変えられる事」=「未来を変える努力はしない」

アメリカの神学者のニーバーの言葉です。

神よ 与えて下さい
変えられぬ事を受け入れる冷静さを
変えられる事を変える勇気を
そして このふたつを見分ける知恵を

 


僕は大きな、極端にいうと、運命を変えてしまうぐらい迷って、でも行動が出来ない時にこれらの言葉を思い出します。

つい、行動できない理由を探して、立ち止まってしまいますが、それよりも一歩前に進むほんの少しの勇気の「言葉」を思い出すようにしています。

「今」と言った瞬間から「過去」になる。
やらなかったからつい、良かった結果を想像して後悔する。
やって悪い結果を出したら、やっぱりやらなきゃよかったと後悔する。

でも結果がわかったから「今」を意味のあるものにできたはず。

 

自己啓発の本に同じような言葉があります。

「今」を大事にできる言葉を自分で見つけ、行動できるようになりました。

ペコちゃんあめの袋

またお菓子ネタですm(__)m

一つ一つ、紙でくるまれているペコちゃんのあめですが、うわさがパッケージの裏に書いてありました。


○一つの袋に大きいあめが入っているらしい(今まで全て一個はありました)
○くるんである袋に、ペコちゃんの顔が切れてないものが10個あると10ペコといい、財布に入れるといいことがある。

○同じく袋に四つ葉のクローバーの絵が描いてあると幸せになれる。

○袋で折り鶴を作ると幸せを運んでくれる。


と書いてありました。

そういえば、グミだけのぷっちょも、何個かは別の形が入っているようです。


僕も買った時に探しましたが、見つかりませんでした(T_T)

次に買った時は、一つありました。

最近はそういうお菓子が増えていますね(*^_^*)


お菓子の話ばかりなので、次回は自己啓発日記にしますm(__)m

カットよっちゃん

突然のお菓子ネタですみませんm(__)m

いわゆる「よっちゃんいか」ってやつです。

最近は、白いものや、黒こしょう、辛い味まで出てきました(*_*)


よく買う店が二軒あるのですが、片方の店ではゲソなどの固い部分が多い商品で、もう片方の店では身などの柔らかい部分が多い商品なんです(>_<)

たまたまではなく、毎回同じなので気になって、つい書いてしまいました(∋_∈)


何かご存知の方がいらっしゃったら、教えて頂きたいと思います(^人^;)


いきなりこんな日記ですみませんw(☆o◎)w

自立するとは

「自立する」ということは
本当のパートナーシップを作る力を得ることであり、
きちんと甘える力を得ることであり、
正面から人の力を借りられるということです。
これに気づかずに、自立ではなく孤立を選んでいる人も、少なくありません。
また、自分と他者を機械的に分離することを
「潔い」と感じている人もいます。
この場合もまた、自分勝手な孤立に至りやすいようです。

「自立」は、他人の力を借りないということではなく
他人の力を借りて、借りた上で
それに報いようと努力をすることです。
簡単なことではありませんが、
これができる人はたいてい
「あの人はスゴイ人だ」と言われています。



辞書で調べると自立は、他の力を借りないで自分の力でやっていくこととあります。

僕は、辞書の意味よりは 他人の力を借りて、借りた上でそれに報いようとする意味のほうがしっくりきました。


同じように、仕事ができると言われる人も、たとえどんな人に対しても、謙虚に耳を傾け、教えを受けているように思えます。


僕もスゴイ人だと言われなくても、力を借りて、恩返しができるような人になります(^O^) 

「労」という漢字

ねぎらう、も、いたわる、も、
同じ「労う」「労る」と書きます。
あたりまえのようにそばにあって
自分に力を分けてくれる存在を
ねぎらったりいたわったりすることは
とても大切なことだと思います。

一瞬の親切よりも
ずっと継続してもらっている親切のほうが
ほんとうは、深い威力を持っているのに
一瞬の親切のほうかとにかく「目立つ」ためそっちにばかり、
感謝してしまいがちです。
継続される親切に対して何らかの節目をとらえて、
労う気持ちを表明するしかありません。


僕は父の日、母の日にプレゼントを渡していました。
何年かした時に、毎年大変だろうから気持ちだけでいいよ、といってもらってから渡さなくなりました。
今思うと、形だけだったような気がしました。
最近は、今まで当たり前だと思っていたことに「ありがとう」と言えるようになりました。
継続してもらっている親切に労うことができるようになったのかなと感じました。

会うということ

会いたい人に会う
この「会いたい」は、
一般に言う「ニーズ」と少し似ています。
会いたいな!と思って会う、ということもありますが、その人に会うまで、
会いたかったのだということに気づかない
ということもあるわけです。
顔を見て声を聴いてそこではじめて
ああ、私はずっと、この人に会いたかったんだなあ
と感じることも、あるんだと思うのです。

会いたい人の方から
声をかけてくれる可能性もありますし、
待っていてもしかたないから
自分から会いに行こう!
という人もいると思います。
どちらからいこうが、大した違いはないのです。
会ってしまえは、そこには
お互いの共有できる時空があるだけです。

自分からそれを送り出しているようでも
本当は、磁力のような見えない力が
貴方の発信を「引き出して」いるのかもしれません。
ある人が受動的に待ち望む力と
別の人が能動的に動き出す力は
目に見えないかたちで
呼び合っていることが多いのです。
妖精が耳に聞こえない歌で人を導くように
貴方の「自発」も
誰かの音にならない声に、
誘い出させているのかもしれません。



SNSを始めて会いたいと思える人がたくさんできました(*^_^*)

でもすでに知り合えた時点で会えたのだと思えました。
直接顔を見なくても、メッセージという手段でも、たとえやりとりがなくて、その人のプロフィールや日記などに触れたことでも「会った」ことになるのではと思いました。


この一年で、共通の趣味で「会った」人、
仕事で「会った」人、
偶然の繋がりで「会った」人。



その瞬間は気づかなかったですが、「会う」べくして会ったのだと改めて感じました(^O^)

そんな「出会い」に感謝しますm(__)m


今までの出会い、これからの出会いを大切にしたいと思いました。
 

つながり

「この人になら話せる」
と思えなければ、伝える気にはなれません。

「この人になら」という感覚は
相手の人間的な高さや知性もさることながら
「どこか、自分と似ている」
という感覚とつながっているのではないでしょうか。
何か重要な部分が自分と似ている、と思えたとき
この人になら話せるかもしれない
この人にこそ是非、伝えてみたい
という気持ちになるのでしょう。


最近思ったのは今、自分の周りの人は皆、共通して似ている感覚がありました。
趣味や考え方などです。
以前は自己啓発でのそういう感覚でしたが、ここ最近は仕事での似ている感覚の人とつながるようになりました。
この人になら話せるかもしれない、この人にこそ是非、伝えてみたいという気持ちになり、今のメンターに出逢えたような気がします。


振り返ると、なんでこの人に話したのだろうというようなこともありました。
趣味や考え方も違う、どこが似ているのだろうかなんて、わからないことがありました。
やっとその答えがわかりました。

その時の状況が似ていたのです。

自分が落ち込んでいた時、相手も同じような状況で落ち込んでいた。
趣味や考え方が似ているという人であったら、その時の自分と「共感」できなかったと思います。
その時に必要だったのは同じ立場の人だったんです。
そして今思えば、その時の
「自分と似ている」
人に救われたと改めて気付きました。


趣味において似ている人、仕事において似ている人、それぞれ「この人になら」
という感覚はあります。
その感覚により、今までになかったつながりも出来るようになりました。
苦手な人でも、たった一部分の似ている感覚から苦手意識がなくなることもありました。

これからは
「この人になら話せる」
という感覚を大切に、どこが似ているというのはあまり考えずに、しっかり
「この人」
のつながりを大事にしていこうと思いました。