我慢と忍耐の違い

「慢」って思い上がりという意味で人の心には、七つあるそうです。(七慢といいます)

では長いですが、説明を…。

 

 「慢(まん)」は、自分より劣った者に対して、「自分は優れている」と自負し、同等の者に対しては「同等である」と心を高ぶらせることをいいます。

 「過慢(かまん)」は、自分と同等である者に対して「自分の方が優れている」と思い高ぶり、自分より優れている者には「同等である」と侮ることをいいます。

 「慢過慢(まんかまん)」は自分より優れている者に対して「自分の方が優れている」と自惚れて、他を見下すことをいいます。

 「我慢(がまん)」は、今では「耐え忍ぶ」というような意味で使われていますが、仏教本来の意味は、自我に執着し、我尊しと自惚れ、それを恃むことをいいます。

 「増上慢(ぞうじょうまん)」は未だ悟りを得ていないのに、「自分は悟った」と思うことをいいます。

 「卑慢(ひまん)」とは自分よりはるかに優れている者に対して「自分は少ししか劣っていない」と思うことをいいます。

 「邪慢(じゃまん)」は自分に徳がないのにも関わらず、あると思って「自分は偉い」と誇ることをいいます。

 


困難に負けず
自分と未来を信じるのが忍耐。

独りよがりに自分の我に執着するのが我慢だそうです。

我慢してるとそれが顔に出る
言葉ではあやまってる
頭も下げてる
でも自分は絶対間違ってない…って顔。


忍耐力って言葉はありますが、我慢力って言葉はありませんよね。
どうしてか…
どんなに我慢しても
我慢=自分が正しいと思っている限り本当の力はつかないからだそうです。

忍耐ではなく、わがままな「我慢」だったことがちょくちょくあります(^_^;)